リーダーズスタイル
NITOH株式会社 代表取締役
宮園泰人
幼少期から柔道を習い、その後、格闘技に転向しプロの格闘家として活躍。 引退後は、ビジネスの知識が全くないなかで起業。
両親は二人とも警察官で、文字通り厳格な家庭で育ちました。物心がついた頃には柔道を習い始め、勝負の世界を通じて様々なことを学ばせてもらった気がします。 勝負の世界というのは、勝つか負けるかの世界。つまり0か100かの世界です。自分が勝ったということは負けた人がいる。自分が負けたということは勝った人がいる。 言葉にしてしまえば当たり前のことですが、それを幼い頃から肌で感じることができたのは、とても重要な経験だったと思っています。 やっぱり負けた時は悔しいですし、勝負には勝ちたいと思うもの。そうやって自分の中のハングリー精神を養っていきながら、学生時代を過ごしました。 そして18歳から格闘技を始め、人気が高かったK-1のリングへ、プロの格闘家として立つようになりました。
母との死別を機に、新たな道へ
そんなある日、母が危篤状態であるという報せを受けました。 ちょうどその年のシーズンが始まる、海外での大事な試合を5日前に控えていた時のことです。 「母の死に目に会うか」「プロとしてリングに立つのか」、私は選択を迫られました。 周囲のスタッフや関係者からは試合に出るよう説得を受けましたが、私はそれを断りました。 母の死に目に会うという決断を下したためです。プロとしては失格ですね。スポンサーをはじめ、色々な人に迷惑をかけたと思います。 そこで私の人生は一変し、それまで積み上げてきた積み木がガタガタと音を立てて崩れるような感覚を味わいました。 プロの格闘家としては続けていけないことを悟りましたね。 だから翌日には、トロフィーや試合用のガウンなど、すべての記念品や道具を一切捨ててしまった。 新たな道を選ぶ決意を固めたんです。
格闘技人生を終えた私は、一念発起してすぐに起業準備に入りました。 周囲からの助言が起業のきっかけの一つではありましたが、なぜ勤め人ではなく、自ら起業しようと思ったのかは今振り返ってもうまく説明できません。 でも実のところ、当時の私はワードやエクセルすらまともに使えない人間でした。会社設立後にパソコン教室に通っていたくらいです(笑)。 不動産どころか、仕事のイロハすら何一つ理解していなかった。今考えると本当に甘い考えですよね。 でも「絶対に負けない」「絶対に成功してみせる」という気持ち、そのハングリー精神だけは人一倍強かったんだと思います。 それは今でも変わりません。そして今、会社は設立から17年目(2021年時点)を迎えました。 そんな私がここまでやってこれたわけですから、たくさんの人に支えられ、会社のメンバーやたくさんの仲間に恵まれたということです。
真実を伝えること
私は、そんな仲間を大切にしていくために心がけていることがあります。 それは何事も包み隠さず、真実を伝えていくこと。 大人になれば面と向かって言いづらいこともありますし、駄目な時に駄目だと伝えられない人も多いかと思います。 でも私は、駄目だと思ったら駄目だと直接伝えていくこと、良い時は良いと伝えてあげることが大切だと思っています。 その方がお互いの自己成長に繋がると思いますし、厳しさも優しさのうちだと思うからです。 そして社員にはもっともっと成長していってほしい。それが自分の役目だと思っています。
私が社員に真実を伝えていくのと同じように、社員にも素直であってほしいと思っています。 会社という組織において、「社長だから偉い」というような考えは一切必要ありませんし、社員も経営者も対等(平等)な関係。 何でも言い合えるオープンな環境が仕事を向上させると思うからです。 何よりも大事なことは、働く社員一人ひとりが「自分らしく」いられること。 そんな組織であるためにも、経営者として社員一人ひとりと正直に向き合っていきたいんです。 それはお客様との関係性にも同じことが言えるでしょう。 どんなに良い商品を扱うことができても、この業界で経営を続けていくためにはお客様との信頼関係が何よりの財産です。 たとえば35年の不動産ローンを組んでいただくお客様に対して、35年間私たちを信用してくださいと言っても、そう簡単に信用は得られるものではありません。 「35年もの長い間、果たして本当に信用してもいい会社なのか?」というところをお客様は見ているからです。 だからこそ常に正直に、素直に、真実で向き合っていくべきです。そして、お客様からいただいた信用は絶対に裏切ってはいけない。 その期待に応えていくためにも、私たちはこれからも邁進していきたいと思っています。