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ニトウブログ
NITOH株式会社 長野冬季オリンピックの奇跡と「お預かり」の精神
2月6日(日)の昨日は、和歌山に近い大阪府へ行ってきました。
待ち合わせ時間の10:30に間に合うように東京駅06:15発の「のぞみ」で向かいましたところ、名古屋駅~京都駅間は雪の影響のため速度を落として運転していました。
確かに名古屋を発車してからしばらくすると、写真の通り車窓から雪景色が視界に入り始めました。
新幹線が通る滋賀県の米原市で、5日午後5時から積雪が増加し、降り続けた雪は翌6日午前0時に48センチになり、午前11時には80センチに達し、そして午後11時には統計を取り始めた2001年以来、観測史上1位の91センチの積雪を記録する大雪が原因でした。
私は長野県出身のため、東京に出てくるまで雪は見慣れていましたけど、車窓から降り注ぐ雪を見ていたら「雪だるま」や「かまくら」(皆さん知っていますか?)を作った幼少期から、小学生のときの毎年恒例の行事だった「スキー教室」と「スケート教室」を思い出しました。
回想は東京に出てきてからの「長野冬季オリンピック」を思い巡らすことに・・・
当時、オリンピック真っ只中で長野市の商談が入り、新幹線で長野駅へ到着して改札をでると、地元にいるときには見たことがないほどの人だかりに驚きました。
長野冬季オリンピックが開催された平成10年の前年までは、特急で上野まで3時間もかかるほど、東京は遠い都会でした。しかし、新幹線開通後には、1時間半ほどで東京駅に到着できるようになり、東京は遠い場所ではなくなりました。
さて、皆さんは「長野冬季オリンピックで起きた奇跡」をご存知でしょうか。
スポーツ種目では時々「奇跡」としか言えないような記録や結果が出ます。
それはスキー競技の「ラージヒル団体戦」で日本は初の金メダルを獲得し、その快挙は日本中が湧きました。実は長野冬季オリンピックの4年前に、日本は金メダル目前で原田選手がジャンプ失敗し、惜しくも銀メダルになった「リレハンメルオリンピックの悪夢」と言われる出来事がありました。
白馬ジャンプ場で行われたラージヒル団体競技決勝では、岡部孝信・斎藤浩哉・原田雅彦・船木和喜の4選手(ジャンプ順)で臨みました。
1本目、岡部が121.5m、次の斎藤が130mを飛び首位に!
しかい、3人目の原田が79.5mと、悪天候と相まって記録が延びず、4人目の船木が118.5メートを飛ぶも日本は4位で1本目を終了。リレハンメルオリンピックの悪夢を思い出さる結果に。
船木のジャンプの後、吹雪がより強まり競技が中断。中止となれば1本目の成績で順位が決まり、日本はメダルすら取れないことに!審判員の判断で、25人のテストジャンパーが全員無事に飛べたら協議を続行することになりました。西岡率いる25人のテストジャンパーたちが何とか飛び切り競技は続行へ!
2本目、岡部が137mの大ジャンプ!斎藤も124mと続いた。そして3人目の原田。
吹雪で視界の悪い中、何と原田は137mの大ジャンプ!!
ついに日本は首位に立ち、最後の船木は完璧なジャンプで125m。
日本は見事リレハンメルの雪辱を果たし、金メダルを獲得しました。
原田選手の報道陣に対するインタビューで「俺じゃないよ みんななんだ みんな」当時、「みんな」という言葉は、一緒に飛んだ船木・岡部・斎藤の3選手のことだと誰もが思いました。実はこの「みんな」という言葉にはもう一つの意味が込められていました。それは、吹雪の中、命の危険も顧みず、日本に金メダルをもたらした25人のテストジャンパーたちのことでした。
知られざる25人のテストジャンパーたちの物語が、昨年2021年6月18日、「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」で映画公開されました。
私たちは、東京圏でマンション運用を老後の年金対策、生命保険代わりとしてご提案していますが、お客様のローンが完済して初めて商品を販売したと考える企業理念の考えがあります。それまでは「お預かり」という志です。
それは、長野冬季オリンピックで金メダルをもたらしたテストジャンパーたちのように、営業マンだけではなく、分譲前の開発事業部、分譲後の賃貸管理部から建物管理部や総務部など、営業以外の舞台裏の内勤を含めた全従業員が持つ志です。
これからも全従業員が一日でも早く「お預かり」からローンを完済してお客様へ販売した日が来るように一丸となってサポート致します。
余談ですが、今日2月7日は、長野冬季オリンピックの開会式が行われたことを記念し、「長野の日・オリンピックメモリアルデー」だそうです。
営業部
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